おそろしくいい天気だ@海ねこ

「綿の国星」を初めて読む。ああ・・・「シンジケート」のタイトルはあのしりとりからだったのか・・・「子供よりシンジケートをつくろうよ」・・・あれは言葉遊びなのか毒なのか酒なのか。「爆弾!?新鮮な言葉!!」そう、確かに言葉のきらめきに溢れたマンガでした。

阿佐ヶ谷スパイダース「失われた時間を求めて」@ベニサン・ピットを観る。前売りでは伏せられていたが、奥菜恵復帰第一作になった。「キレイ」の時の眩しさは、今やどうなってしまったのかと思いきや、やっぱり眩しかったよ。笑わせるわけでもなく、泣かせるわけでもなく、淡々と淡々とした芝居(一部大暴れ)なんだが、怒りたくなるようなつまらなさもなく、ただ「君のいいたいことはなんとなくわかるよ」という気分で帰った。これでもいちおう誉めてるつもり。まあ、メタル・マクベスのようなタイプの芝居とはまったく次元が違うので、声を大にして人に奨めるというわけにもいかず、観たものだけがひっそり味わうべき至福なのかも。舞台にはこういう味もあるということで。

(妄想短)

連絡の途絶えた人の一日は長いのだろうか歳をとるまで

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たまごの中にはいつか生まれ出すヒヨコ@たまご

ゲキ×シネ(芝居をデジタルシネマ化したもの)「メタル・マクベス」を観た。久々に感服。

生ものにこだわる者としては映像化した芝居というものにいささか懐疑的だったのだが、まったく別の世界がそこにあった。単なる劇場中継とはワケが違った。もともと、セットは豪華、キャストは芸達者ぞろい、音楽よし、話よし(シェイクスピア+クドカン)、まったくスキのない芝居を、さらに見事に編集してある。すなわち無駄のないつなぎ方、UP多用するも見苦しくなく、細かいツボもまんべんなく押さえた視点の切り替わり。おいしい生ものがさらにおいしく料理されていた。たとえナマが一番よいにしても、こんなにおいしいんだから何度も味わえたらそれはそれで嬉しいのは当然だ。

「メタル・マクベス」自体についていえば、男も女もがっちりした人物像で、これが芝居だ、あるいはこれが物語だ、と感じさせる力がみなぎっている。どの人物もパワーだけでなく哀感を併せ持ち、厚みがある。これはもちろんシェイクスピアの土台に負うところも大きいのだろうが、そこにロック世界をよくぞあんなにぴったりかぶせることができたと感心する。

ネタバレ的にいうが、ダメ夫(←ある意味)の尻を叩いて王を殺させたあげく自ら良心の呵責に耐え切れず狂った妻を、これまた狂った夫が心からいとおしそうに抱きしめるシーンは、日本中のだめんず女子を甘美な自己欺瞞に引きずり込まずにはいられないだろう。

観たあとに、「何かしなければ」あるいは「何かするぞ」という衝動が頭に渦巻いてずっと離れない。この作品が凄かったことの証だと思う。そうやって何かに火をつけることのできる力のあるものに出会うことは、やっぱり幸せな経験だ。

(妄想短)

裏切りを笑って許す人だから今日もこんなに裏切っている 

失って復讐したくなるほどの愛をあなたにまだ見ていない

今日もまた一人ギターを撫でている君の孤独はあてにならない

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散らかった世界は少しずつ渇いてく@トンガリ’95

あー。perfume生で聴いてみたい。

猫のホテル新作本公演「けんか哀歌」鑑賞@本多劇場。(どこの芝居観ても思うんだが)本公演って年1回ペースだっけ?1年は長いようで短いようで長い。いつも前回のことは忘れているなあ。

(以下ネタバレあり)

今回もまあ楽しんで観たことはみた。でも、もともと個性溢れる役者陣のその個性に負うところが大きくて、しっかりした芝居を観たという感じが薄い。内容は公演チラシにもあるように猫ホテ的「昭和」の世界・・・なんだけど虚構にもなれずパロディにもなれずオリジナルにもなりきれない感が残る。

映画女優役の佐藤真弓たんが、モノクロ映画の女優の声(というかもはや「音」)を模した、ほにょほにょした声で本読みしたシーンにはぞくっとした。いつもながら真弓たんはホラーにも似た非日常を演技によって描き出すのがうまい。あとガンツさんの演じ分ける「おかしな人」と「おそろしい人」の落差もおもしろい。社会というのは「悪」という言葉では分類できない、こんな嫌な大人がいるんだ、という見本のような人物を演じると天下一品かも。いけしんは長井大を引きずりすぎ(笑)岩本さんは実人生でも谷所長なのではないかと心配になる。中村まことさまは珍しく悪さが不足。菅原さんは久々の怪演があってよかったが、後半もっと嫌さがあってもよかった(←ここんちの芝居に何を求めているのか自分でもわからない・・・)村上さんはいつも全開で大好きである。主演たる池鉄は至っておとなしかった。ラスト(のオチ)はまずまずとはいえ、いつも全体に立ち込める「やー」なかんじとか「ヘン」なかんじが薄かったんだと思う。ぜひ次回は「ストーリー的に」濃い味のが食べたい。

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なんで?飛びそうだ@けもの道

まだスピッツツアー前半戦2DAYSの記憶もそこここに残る神奈川県民ホールにて熊川哲也(以下「王子」)Kカンパニーのバレエを初めて観る。白鳥の湖。

貴重なチケットをお譲りいただいたので、これも何かのご縁と思って。

場所柄なのか何なのか、客層は地味めで意外。オーチャードとかだと全体がもっと(なんというか)華やいでいた気がする。

舞台装置・照明・衣装は豪華だった。いいなあ、ゴージャスで。最初にオデットが白鳥に変えられた瞬間の後姿にかなりガツンと衝撃を受ける(オペラグラスってたから余計にね)。期待倍増。そして登場するだけで王子は王子らしいところがさすがといえばさすが。タカラヅカに似た空気。王子以外の男子がなんとなくまとまりに欠けている(見た目も)気がしたが、女子は粒ぞろい。女王は雰囲気があり、芝居としての締りがあってほっとした。それと2幕目の群舞はたいそうよかった。日本人でそろっているからなのか、全体だけでなく足元の感じとかがすごく可憐。ただしダイナミズムには欠ける。手とか短いし動きが小さいので。でも外国人の大柄な群舞よりぜったい好き。プリンシパル荒木さん、体育会系なかんじもありつつ、表現力豊かで、すばらしかった。もういっぺん見てみたい。王子はほとんど見せ場なしでずっと観客をじらしておいて、最後の方で例のジャンプをここぞとばかりに見せた。いつ来るかいつ来るかと思って待ち構えていたら、最初のひとっとびがほんとにすごかったのでクラッとした。たぶんチケット代の4/5くらいはこれを観るためのものだったかも。下世話な計算だけどね。カーテンコールが妙に長い。お客側を見ると、純粋なバレエ芸術の公演ではなくアイドル系であることがはっきりわかるが、実際に舞台としてすばらしかったからまあいいや。王子&オデ&ロッドバルトのバランス絶妙。見た目は大事だね。

ダヴィンチで穂村先生がコメントをくださったので、しばらくは生きていけると思った。「ヒース私を見て@ニジンスキー」な心地である(苦笑)伊藤整賞おめでとうござります。どんどん遠くへ行く人(その3)だ。

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僕らの家が新しくなる@家(ユニコーン)

(ネタばれあり)

奥田民生FANTASTIC TOUR 08@渋谷C.C.レモンホールに参戦。スピ以外のライブは久し振り。ワンマンでは初のOTなので、わくわくする。本当はなんとなくテンションが上がらなくて悩んでいたのだが、どういうわけか前日からスイッチが入り、公園通りも余裕で駆け上がる・・・

席は最低に近い位置ながら、全体が俯瞰できるのでよしとする。別にね。ホールだからね。スピのときにはあまり見かけなかったサラリーマン風の人が結構いるのが不思議な感じ。白いシャツが目立つ。同行のスピ友さんは実は熱狂OTファンでもあり、一緒にテンションを上げてくれて嬉しい。

当日は春の嵐がちょっと収まった、みたいなへンな天気で、みんなの髪がへんみたいなことをMCで言っていたが、OTの妙に長く伸びた髪(いわく、みうらじゅん)の方がれろれろ。別冊カドカワの表紙ばっかり見てから来たから、別人かと思った。ひとまず新譜『Fantastic OT09』からの曲がメインなので、若干冷静に耳を傾ける。個人的にいうと長年「歌=歌詞」にのめりこむ聴き方ばかりしてきたのに、このところみんなにテツヤのギターのかっこよさを解説されてすっかりテツヤ派(右側)になっていたので、ギターのかっこよさを認識できる自分になってからOTのライブに来れてよかったと思った。昔はなんで歌詞とメロディしか気にならなかったのかなあ。音とかテクとか何にも考えてなかったんだなあ。期待していた「鈴の雨」が凄い凄いと思っていたら間髪いれずに「愛のボート」。意外な気がしたのだが、実は右肩上がりに凄かった。ほんものの陶酔を味わう。続いて「家」(ユニコーン時代の曲だそうである)。この3連発で完璧に骨抜きになってしまう。ライブ万歳。アルバム以外の曲もほぼ自己ベスト的に好きな曲が聴けてすごく嬉しかった。明かりがついてからもアンコールに応えてくれ(よくあることらしいが)、「さすらい」をみんなで熱唱。ぶっきらぼうで無骨な印象のライブに優しさを添えているようでとてもよかった。以前ひたちなかで聴いた、まったりしたOTとは別人のようで別人でないような。

そしてこんなステキなライブだったよ、とマサムネに報告したいなあ、と思いながら帰ってきた。CCレモンホールは翌日もあるから、もしかしたら2日間のどっちかに行ってたりするかな、と今日もまた妄想。

(妄想短)

今日あったステキなことを帰ったらキミに伝える走って帰れ

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過ぎていったモロモロはもういいよ@不思議

神奈川県民ホール第二夜。書きなぐり。

今日はテレビは来てないんだね、とゆーことがあからさまな各人の動きの違いに微苦笑しながらスタート。なにぶん昨日の良席とちがい、今日は「憧れてた場所じゃないけれど」的に天井桟敷な席なので、昨日見られなかった足の動きとか見ようと思っていたのに、動きはとっても少なめでした(爆)衣装もマサムネは白Tにごく薄いベージュのカーディ(ダブルボタン)でほぼモノトーン状態。リダはまたまたアイラの20周年横縞ポロ別バージョン(何種類作ったのだろう?)テツヤも襟元ゆるりんな白T(ブーツにズボンin@本人談)、崎ちゃんもシャツ&黒T(?)の普段着バージョンと、あっさりした風味。ヒバリくらいまではウォーミングアップな感じなんだけど、そのあとはぐいぐいと調子を上げていく。ちょっと重ために思えた昨日の崎ちゃん(思えば鼻血のせいか・・・)より今日の方が軽快みたい。チェリーの前のMCでは、近年の桜歌ブームに対抗しマサムネが「梅の花咲く頃君はどこに」みたいな梅の歌を即興にて披露(コード進行は点と点だったらしい)。今日のMCはまたまた物忘れシリーズに戻っていたが、韓国ツアーで荷物券・駐車場で駐車券を失くした(「それは崎ちゃん、ものわすれじゃなくてわすれものだね」と皆が言うのに聞いてない崎ちゃん・・・)「なくしもの」シリーズに展開していた。リダが車に乗る時、駐車券を口にくわえる癖がありそのあと「あれ?駐車券どうしたっけ?(焦)」とあわてるというエピソードとか微笑を誘う。てか、今日はダンスの話とかテツヤの夢の話とか、MCが長くて、妙にまた~りだったんだよね。プレイの方も結局、ネズミあたり(夜駆けは昨日より音がよかったから、もうちょっと後かな)で電池切れしてきたふうで、音がへろへろしてたように思う。やはり昨日発奮しすぎたか。でも激しいのはともかく、今日のPと楓は秀逸だった。楓では周囲からため息とか指笛とか飛んでいた。あの声は圧巻だった。あれがあれば他に何もいらないよ。ほんとは他にもいろんなことがあったはずなんだが、あとからじわじわ思い出すんだろう。My前半戦が終了する。スピッツ、ばんざい。

今夜は楓のユメを見たい。

余談:

聞いた話だが、韓国では漣のハングルバージョン(一部)歌ったそうである。また、すごく嫉妬しちゃっている自分がいる。いかんいかんいかん。

(スピ短)

横浜の夜はきらきら更けていく 君のギターの余韻を胸に

声だけで狂わされてもかまわない 誘蛾灯には誘われていく

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忘れたくないひとつひとつを@僕のギター

神奈川県民ホール参戦で速報メモ。

TVKpresentsで、しかもカメラも入ってます。

カメラを意識してか、パフォーマンスっぽい動き多数。おかげで珍しいもの見せていただきました。テツヤなんて、なにげにギタープレイ派手派手にしていて、かっこよかった。惚れ惚れしました。今日の映像はどこかで必ず使って欲しい。商品化きぼん。

例によって僕ギタで浮かび上がる黒いシルエットがなんともいえない高揚感を生む。不思議でもなんだかいつもよりノリノリな動き。マサムネは真っ青なカーディ(どこかでも着用してたらしい)で照明が映え、美しい。頸すじにやたら目が行ってしまう。Tシャツにカーディって、首、目立つよね?そしてヒバリ。こぶし(?)というか節回しまで絶好調で、美しすぎる歌声だった。テツヤのプレイとあいまって鳥肌が立つ。今日はなんだかステキなことになりそう的な興奮。けものでもテツヤのかっこよさはますます高まる。今回は演出・照明も見どころなのだが、スピッツの歌と色の関係がとてもよくわかる。特にさざなみCDおよび今回のツアーでは色が重要なファクターになっていて、特に曲ごとの青黄緑赤のメリハリは見事だった。今日はセトリが一番好きなパターンだったので楓・夜駆・スパイダー・漣ではまたボーゼンとなってしまう。韓国ではハングルでMCしたそうである。一瞬嫉妬した。それって性格、悪い反応だろうか。MCはいくぶん寒さがやわらいでいたが(笑)手鼻かむとか鼻血とか、記録向きでない内容が多く、商品化に影響するのではと気が気ではない。明日は全体を俯瞰する予定。

(スピ短神奈川県民初日編)

黒き影僕のギターのイントロは今日も素敵な旅の幕開け

ギター置く砂漠の花の君の手を掴み駆け出すステージの外

漣の眩しき青よ海山を俯瞰しながら飛んでいくから

ルキンフォー黄金の風の麦畑 とぼとぼ歩く遠くまで歩く

スパイダー 君のいじわるに溶けそうで手振りするのは忘れていたよ

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覚書。

NHK新日曜美術館のKPO(キリンプラザ大阪) 閉館特集を見て。

アーティストのヤノベケンジ氏(@タンキング・マシーン)は、美術を学んでいた大学院生のとき、従来の彫刻の範疇にない、ある種のエンタメ性を備えた彫刻(立体)作品を作り出し、キリンコンテンポラリーアートアワードを受賞した。それを見出した審査員も凄いわけだが、その主な一人である立川直樹氏が「普通の彫刻展に出していたらぜったい見出されなかった。従来の彫刻の概念(彫るとか削るとか)を超えたものだったから」というようなことを話していたので、穂村弘氏が第5回ニューウェーブ短歌コミュニケーションで話した「ボーダーライン(INOUT)」の話を思い出す。

結局、植物の根の成長点みたいなところで、あるジャンルにおいて従来の概念とは違う何かを「プラスしたもの」が作られたときに、それが新しい表現として現れるのである。短歌の根源は日本語で三十一文字をベースにしていることだ。その土台の上に立ち、ニューウェーヴ歌人はいろんな技法で表現を推し進めていった。これから先はどうなるのだろう?

短歌を作るにあたって思ったことは次の通り。短歌は詩歌なのであるから必ずなんらかの詩的な世界が作られている必要があるだろう。三十一文字で、句切れもなく、ちょっと利いた風なことを書くと、短歌ではなく三十一文字のアフォリズムができる。「あるある」的な要素は短歌の一部ではあるがすべてではない。先日のやすみりえさん流定義でいえば「膝ポン」な文学は川柳に任せればいいのではないか?短歌は「ポン」よりもう少し理解に時間のかかる広がりを持てる手段なのだから。短歌の武器を捨ててはいけない、と自戒。まとまらないから覚書として。

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さらに高いところへかけのぼるような@ネズミの進化

スピ友さんのお誘いを受けてスピッツコピーバンドのイベントを聴きにいく。当初、発表会を観にいく、という程度の軽い気持ちだったのだが、個性溢れるバンドの数々に思いがけない新たな楽しみを発見したステキな1日になった。

アマチュアバンドの楽しさは、主にやる側(というか、友人を含む内輪)にあると思っていたのだが、必ずしもそうではないようだというのが最大の発見。アマチュアなりの選曲の妙、アレンジ・照明の工夫など、聴く側にちゃんとアピールするものを「持っている人は持っている」んだなあ。本家ライブではやりそうにない曲を聴けるのも面白い。ただし、それは諸刃の剣だ。やっぱ初は本家ので聴きたかった、と思った曲もあったから。最後はなんだか「みんなスピッツが大好きだよね教」って感じに、そこいらじゅう誰彼なく盛り上がってハッピームードでお開き。

実際に聴いていると、演奏レベルは低くても、「あ、スピッツの音になった」という瞬間がどのバンドにも何度かはあって、そのたびにガッと頭に血が上ったようになるのが快感だった。あるバンドはそれが全曲(6曲?)にわたって続き、もはやそれは独立した一つのバンドとして追いかけるに足る個性を発揮していた。おそるべし、コピーバンド。

もちろん、逆説的に本家スピッツ(およびマサムネ)の凄さを改めて実感したのはいうまでもない。すなわち、楽曲の凄さ。演奏レベルの高さ。音作りのこだわり。声の魔法。各メンバーの魅力溢れる個性。スピッツという奇跡が、人々をコピーやその先の自己表現へと駆り立て、また次の奇跡を生むのだ。ほむべきかな、スピッツ。

しかし、1曲を(たとえ間違ったところがあっても)1つの波に乗るようになめらかに終わらせることの難しさ。大好きな1曲をソラで歌ってみればわかるが、自分で作った歌を人前で演奏しつつ間違えず自分も楽しんで歌う、それを2時間20余曲分、なんてほとんど神業である。

翌日は、数年ぶりで大寄せの茶会に行く。三席ほどまわりながら、不思議とコピバンの感想と同じような感想が浮かんだ。まず、練習が足りているか足りていないか一目瞭然である。人を楽しませようと思っているかどうか、またその余裕があるかどうかもわかる。あとメンバーがどういう気持ちでそこに臨んでいるかも、意外と見えてしまう。でも、お茶でもやっぱり、つたないながら客から見て「響いたな」と思える瞬間がどこかに訪れるのだ。波に乗るのが難しい&乗ってしまうとちょっとの間違いなんか気にならないのも同じだ。それがつまり芸ってことなのかも。

つくづく、ヒトサマの前で何かをしようというのは本当にたいへんなことだよなあ、という当たり前のような覚悟が湧き、言い訳人生はやめよう・・・と人の振り見た瞬間は思う。瞬間は。

<妄想短>

宿酔の男くわえる爪楊枝 女あるいは母の代りに

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浮きまくる覚悟はできるか@みそか

朝カルの講座「短詩のちから~可能性」(川柳作家やすみりえ&歌人穂村弘)を受講する。川柳作家、という職業があることを初めて知った。ちなみに川柳とは、やすみさんの説明によれば季語のない俳句のような、人について読んだもので、膝ポンな要素が含まれているもの、ということのようである。出会いと別れをテーマにした作品をいくつか取り上げ解説する形式。穂村先生の解説はいつもながら短くて的確で小気味いい。しかし同じ歌をよいと思っていてもどこがどうよいと思うかは、当人に聞いて見ないとわからないものである。「いいですよね、これ」というのでどんな風に読んだか訊ねると、まったく読み筋がちがっていたりするので驚く。今日は先生に「葛原妙子の名前を覚えて帰ってください」といわれた。まとめて読んだら相当に重たいだろう。

読了した「短歌の友人」を持参して、厚かましくも、大好きなとある1ページにサインをいただく。「三つの時間」。たいへん嬉しかった。

今日「東京マラソン」のTV番組の合間にやっていたNIKECMiPODを使って世界同時多発的にマラソン大会するシステム?)を見て、その濃厚な孤独感に眩暈がした。大真面目にこんな(心的に)不毛なプロジェクトをやっているのかと思ったら、これがまさに「人類史上もっとも幸福で、しかし心のレベルとしては最低の生を生き、種の最期に立ち会おうとしている」瞬間(@「三つの時間」)なのか、と思った。

<妄想短>

ランナーの屈託なき笑顔理解しつつレミング崖から落ちる

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