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かき鳴らしてはかき鳴らしては@僕のギター

テツヤを家族みたいに心配してる。だからどうするか、だ。どうする、自分。

(スピ短)

片足で立ってるような気がしてた ぐらり揺れたらスピッツを聴く

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今日の覚書。

NHKの俳句でやってた原裕(はらゆたか)の「渡り鳥わが名つぶやく人欲しや」。朝からどきっとした。 そのあとの新日曜美術館でやってたジョゼフ・コーネルの「箱」。海ホテル、ほしい。ほしいものを手に入れちゃうイナバヨシエ氏のまぶしさと高橋陸郎氏が朗読した自作の詩もよかった。 山口薫の絶筆「おぼろ月に輪舞する子供達」。絵なんだけど、これは詩だ。普段は京都何必館に常設されているらしいので、いつか見よう。

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宝貝ひとつで覚醒できるのさ@白い炎

立川の朝カルで「岡井隆の短歌朗読術3歌人(岡井隆石井辰彦穂村弘)+1詩人(平田俊子)による朗読の会3」(長いね)を受講。またとりとめなく感想などをメモ。

第一部は「ソネットの愉しみ」と題し、定型詩の魅力再発見みたいなかんじで、各人が1編のソネットを選び、その作品に応える形でソネットを創作して読む、という内容。そもそも自分的には定型詩といわれて浮かぶのは短歌・俳句・ソネット・絶句・律詩の5つしかなく、いずれも言語の必然性みたいなものを内包してるから日本語で作ってもあんまり盛り上がらないんじゃないかと思っていたのだが、読まれた作品は4つともすごくよかった。

なかでも穂村先生の「一日分の野菜が摂れるというジュース」の詩は、真夜中の台所(これはキーワードかも)で、傍からみたらチンケな呪縛(ジュースの成分の問題じゃなく、ある種の呪いなんだからほんとうに自分の生死を分けるかもしれないじゃないですか!)に縛られて安心なほむほむ・・・というちっちゃな死の詩だった(と解釈)。こういう危うさが大スキである。ジュースの固有名詞で構成された最初の8行は1020年後にどういう意味をもつようになっているかわからないが、後半の6行は詩として永遠であろう。

岡井先生いわく、外国語の詩を翻訳する際に、押韻などをそのまま再現することは「無理」なのではなく、日本語のリズム・押韻に置き換えて再現すべきであり(確か、堀口大學とかが引き合いに出されてたと思う)、最近はあまりそういう努力はされていないよね、とのことであった。そうか、そういう風に考えればできるのか・・・。村上春樹の翻訳ものは村上春樹の小説みたいだ、という事実を思い出す。ちょっと違うけど。

(ソネットは14行なわけだが)4433で分けるのか、4442で分けるのかにこだわりを見せる岡井先生はステキだ・・・しかし57577)のしばりは、気持ちの凝縮にプラスに働くことが多いように思うが、今回の試みだけでは14行および押韻のしばりに目覚める、というほどの衝撃は(正直なところ)なかった。文字量たっぷりあるなあ、とか思ってしまったからかも。こればっかりは、作ってみないと実感はできないだろう。

それから、これも岡井先生がぽつりといわれたことだが、いまどき、(詩に埋め込まれた古典文学作品や聖書のエピソードとかを読み解くための)「教養」はどのレベル必要なのか(あるいは共有されているのか)、という話。ちょっと前にブランチを見ていたら(インディジョーンズの新作の紹介のときだ)いまのブラン娘はほとんど最初のインディジョーンズを観たことがない、ということがわかって谷原くんがうろたえていた(「見たほうがいいよ!」と叫んでいた)のを思い出したが、まあそれは卑近な例としても、日本人のなかに共通の教養とか(下手すれば)言語さえも、もはや永遠になくなりかけているんじゃないかと思う。それこそ、バベルの塔もまっさおだ。だからやっぱりこんどの東京オリンピックはやったほうがいいかもね、などと飛躍して考えたりする。せめて関東人共通の思い出作りとして。自力でバベルの塔から抜け出すには、言葉で沈殿させた意識をきれいに掬い取るワザが必要だ。また別の言葉で。

第二部は「東京タワーを詠む」と題して石井先生が出した御題「東京タワー」で作品を作るというもの。岡井先生は新聞社の送迎車で巡ってみた東京タワーを詠んだとのことだが、満場一致的に「かっこいいですね」との評価。ほんとうにそのとおりでいちいちフレーズがかっこいいのである。(無許可なので挙げませんが・・・)

全員の作品を聴いて、いやというほど感じたのは、(例によって)「万博世代」の感覚は日本人の中に固有の位置を占めているなあ、ということだった。東京タワーがまがまがしく思えるのは(石井先生の言うとおり)江戸川乱歩やマダムタッソーのせいかもしれなくて、そのうえ東京タワーは「家族で物見遊山」するあの時代の象徴でもあって、それを混ぜ合わせると、今回穂村先生の連作に出てきたOH!マイキーみたいな蝋人形家族の肖像になるんだろうな。エビフライの輝き。云いまくりたくなる高揚感。岡井先生や平田先生にはぴんと来ていないように見えたので、きっと世代の言語なのだろう。そういう意味ではジュースの詩の方が東京タワー連作よりたぶん普遍性があるように思う。

最近の朗読は(大切なところや強調したいところを)2度ずつ読むんですよね、と岡井先生がいっておられたが、茶事で歌銘を読み上げるときは2回がお約束なので、ちょっとおもしろかった。届くように音読するためには技術が必要だ。朗読そのものもやってみたらおもしろいかも。

(妄想短)

世界一優しいリンゴを食べた夜 人恋う罪も同時に背負う

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笑えるくらい瞳輝かせて@青春生き残りゲーム

そんなこんなで早や9月。「魔王」もあと1回しかない(涙)。ここ2回ほどは葛西優先なかんじで見てたなあ。嗚呼。

8月は暑かった、ということしか思い出せないくらい遠く感じる。メモというものが残っていなかったら、自分の人生なんてほんとに毎日がただ過ぎて過ぎて過ぎていっただけ、ということになりそうだ。

宝塚は真飛聖お披露目「愛と死のアラビア」。お披露目なのにちょっと気の毒なストーリー&ショー(話が暗い)で、観客としては祐飛くんのがんばりに希望を見出した。

某日、オーチャードで久し振りに松尾スズキを観る。「女教師は二度抱かれた」。まあ、「キレイ」を100とすれば75点というかんじではあったが、再び元気な芝居になって嬉しい。大竹しのぶさまは歌がたいそう上手で感動した。やっぱりいろんな意味ですごい。出てるオーラの質が違う。染五郎さまは目を覆いたくなる白ぽにょ肉体で(爆)、これが朧の森のあのお方か、と嘆きたくなった。好意的にいえば、役作りなのか?(笑)彼が「ドラキュラ」にたとえられるシーンがあり、パパ幸四郎の「ドラキュラ その愛」を思い出して胸が熱くなる。1つの芝居で人生が変わってしまう感覚。ちがう世界にシフトする感覚。すごかったよなあ。しばらく感じてないけど。「メタルマクベス」は生で観てたらそうなったかもしれないなあ・・・などと感慨が横道に逸れていく。もとい、「文學界」にシナリオが載っていたので買って読んでみると、セリフとして聞き逃した言葉がいっぱいあったのだが、どれも懐かしいほどに松尾さんらしいリズムで、読むだけでわくわくした。なんで一時期このリズムが感じられなかったんだろうかと思う。悪い夢だったのか?

美術展では国立博物館の「巨匠対決」が今年最大かなあ~というくらいゴーカだった。最近は切り口や見せ方の工夫も相当におもしろい。イヤホンガイドは豪華声優陣で彩られており、(オタク、ではなく昔風に)「マニアック」な趣向であった。次元やシャア少佐が美術について語るというのもステキです。風神雷神は目線のあってない宗達の方がスキだ。

そして(野外は断念したが、)夏のスピッツも、当然ながらなしではすまされない。ロックロックこんにちはin仙台に1日だけ参戦。ゲストではMONKEY MAGIC(仙台在住)がとても気持ちよかった。もちろんフラカンもがんばっていた。えらいなあ。tacicaというバンドは第一声から「○ンプ」とダブってしまい、暴力的な音と暗めMCが相まって、辛かった。かなりアウェーなかんじでしたね、とほうぼうで囁かれていた。さてスピッツの面々は元気だった。マは夏痩せ。お楽しみ今夏のカバーは「LALALA  LOVESONG」か「さすらい」のいずれかだったが、12日はテツヤの「ナオミよ~」付でラララが聴けてよかった。「名前をつけてやる」が聴けたのもなんだか嬉しかった。MCはそれ以外特筆すべきこともなかったように思うが・・・その他、カバー以外のセトリを見ずに臨んだので、「夢追い虫」の不意打ちをくらって倒れそうになる。これを歌おうという気分の夏だったのか。そうなんだ。ありがとね。これだけでこの夏、思い残すことはなにもないよ。会場で初めて会ったスピ友さんのスピ友さんと、最後は「よかったねえ~」と抱き合ってヨロコビを分かち合った。めでたしめでたし。

(スピッツ短歌)

2009年         一人の時をやりすごす冬眠前に見ておくマサムネ

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